So-net無料ブログ作成
検索選択

精神病みワーカー 番外編 受講生 Kさんの思い出 [日記]

 今を去ること、2月11日に私は、近郊都市のk市にM,HとともにJRで向かっていた。

 私のワーカー生活は、ビジネス事務科に始まり、ビジネス事務科で終わったと言ってでも過言ではなかろう。2ヶ月間のパソコン講習会は正直きつかった。スタッフがきついなら、受講生はなおのこときつかっただろうと思う。その受講生の中に、Kさんという女性がいた。

 このKさん、年のころは35才前後で、既婚、子供一人(2歳)がいた。

 一応、ビジネス事務科に参加するのに、選考会というのを受けねばならなかった。10分間で何文字打ち込めるのか、という試験と面接。実際は定員割れだったので、全員合格と最初から決まっていたが、やるべきことはやらねばならない。最初の印象ではKさんは、待ち時間の間、不安げで、うつむいて、椅子に座っていた。そんな様子だったので、私は、「私はソーシャルワーカーなので、困ったことがあったら、言ってくださいね」と声掛けをした。事業所の代表として、私と、M.Hが、面接に参加した。(他は委託先のコーディネーターの女性2名)そのときのKさんは、かなり遠い近郊のC市から通うと言っていて、続くかなと思ったが、おとなしい人という以外にこれといって、問題があるようには、思えなかった。ただし、Kさんのタイピングは10分間に100字程度。パソコンのスキルに関しては、大変かもしれないと、講師たちは危ぶんでいた。

 そんなこんだで、ビジネス事務科が始まったのだが・・・

 おお化けとはこのことをいうのだろう。Kさんは、急に病気が悪化したのか、躁状態。授業にはついていけず、勝手な言動を吐いたりして、授業を混乱させたりしていた。そして相談。初日目から相談である。

 彼女が言うには、夫と子供とは別居していて、援護寮で、暮らしているという。子供は姑が育てている。etc・・・

 家庭のこと、講座人間関係、夫のこと、援護寮のPSWについての不満など、相談は1ヶ月ほど毎日続いた。

 で、とうとうKさんは入院してしまった。閉鎖病棟である。普通そこでリタイヤだが、Kさんは、病院から講座に通ったのである!ほぼ毎日。

 1ヶ月が過ぎたくらいで、突然、Kさんは「このままだと資格取れない!」と言い出した。

 1ヶ月の状態でワードは、資格を取れないであろうと、講師陣は結論をほぼだしていた。リーダーのM.Hはそうそうに切り捨てに入っていたが、彼女が辞めたいと言い出したので、あわててフォローに入った。

 ワードがだめなら、エクセルがある。

 Kさんは、一度、講座中に退院して援護寮に戻っていた。援護寮には、パソコンがあるらしく、復習をやり始めた。相談もなくなった。薬が強いらしく、集注できないのだとは訴えていた。でも休み時間にも「センセ、センセ、教えて」といい、がんばり始めた。でがんばりすぎてまた、入院したのだが。

 それでも、根は明るい人だったので、いつしか講座のムードーメーカーにもなっていた。なんだかんだいって、規定の8割出席を満たし、無事卒業したのである。

そして、終了式の次の日には、本部の作業所にいたのである。本部に通いたいという相談は受けていた。私は、疲れているから、1週間は休みなさいといったのだが、聞き入れなかったようだ。

 そしてエクセル3級、ぎりぎり合格。Kさんは、今は不仲になっているという夫にこれを見せれば、きっと見直してもらえると喜んでいた。

 さらにその数日後、彼女は事業所にやってきてこれから面接だという。理事長が懇意にしている、パソコンのリサイクル会社に、障害者枠で入社するという。正直なところ、本部で余されたなと思ったが。このビジネス事務科で卒業生が就職できれば実績になるので、理事長は、受講中の生徒に、この会社で働かないかと、勧誘していた。あいにくKさんは勧誘されなかったが。

 とりあえず面接合格。Kさんは就職した。数日の間。

 作業所には、一応ワーカーがいる(私だな)。しかし、会社にはワーカーはいない。Kさんは、トラブルばかり起こしていたらしい。私は、何かあったら、相談にいらっしゃいといっておいたが、結局彼女はまた入院してしまった。

 病院にいるKさんから、ふいに電話が入った。本部のほうでは、グループホームも経営している。そこに入れないかという依頼だった。それは本部に聞かなければ分からないので、待ってくださいねといい、電話を切った。で本部のほうに連絡した。グループホームを取り仕切っているのは、副理事長のOさんである。Oさんは、昨日の夜に、Kさんからすぐにでも何とかしてくれという電話があって、断ったという。仕方なく、Kさんにその旨を伝え、病院のワーカーに相談して地元のグループホームをあたってみてはどうかといった。

 それが、Kさんと交わした最後の会話だった。

 それから数日後私は、体調不良で年末前の3日間休暇をとった。後を任したメンバーから、夜メールが入った。

「Kさんが12月23日に病院で首を吊りました」

!!!?

 Kさんと話した次の日に彼女は自殺したのである。

 ショックだった。そして後悔が胸をいっぱいにした。何故あの時もっと詳しい話を聞いてあげられなかったのだろう。何故?自分の非力さを思い知らされた。

 Kさんの訃報を聞いたその深夜、初めてM.Hから電話がきた。

「Kは馬鹿だ。あんなに教えてあげたのに」と

忘れないで、あげな、それが一番の供養だから、と私。

「絶対忘れない!」

どのくらい話したか覚えていないし、私もワーカーとして適切なことを言ってないような気がする。ただ、お参りにいこう、

どこに位牌があるのか調べておくからと。

年が空け、私は、Kさんの住んでいた援護寮に位牌がどこにあるのか、問い合わせた。Kさんの夫の元にあるとのことだった。ご主人の名前と携帯番号、住所を教えてもらった。

 お参りは四十九日後に行くことにした。

 2月に入り、私は、意を決して、Kさんの夫の元に電話した。

 Kさんからの相談で、イメージとしては、怒りやすく、精神病を理解しようとしない人という感じをもっていた。が、電話の声は、気の弱そうな男性の声だった。急なことで、とまどっただろうが、お参りにいくことは快諾してくれた。JRで向かうと言ったら、駅まで車で迎えに来てくれるという。その好意には甘えることにした。

 おりしも、あのM.Hがドクターストップをかけられていた。メールでJRの時間を知らせ、無理なら私独りで行くと伝えた。M.Hは行くと答えてきた。 

  そして2月11日、お昼頃の便で私とM.Hはk市に向かったのである・・・・。 この続きはまた次回にしよう。 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。